スターの人生 スターの半生
有名人の人生・半生をピックアップ。その人生はどんなものだったのかをご紹介します。
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大黒麻季

ベスト オブ ベスト~ALL Singles Collection



大黒摩季は1969年12月31日うまれ。
大晦日の日、札幌の製パン業を営む家に生まれた

3歳の頃からピアノを習ってた大黒麻季でしたが、好んでやったわけではなく母が「女の子が生まれたらピアノを習わせたい」という思いで習わせました。
実家が商売をしていたこともあり、彼女の母親と祖母は、いつも忙しく働いていました。
商売ですから、疲れたもたまっていました。顔にもその疲れは出ていたようです。

しかし、幼い彼女には、手伝うことも出来ず、
がんばっている二人に「がんばれ」ということもなかなかいえませんでした。

あるとき、娘である大黒麻季が歌を歌うと、どんなに疲れているときでも
母と祖母は、笑顔で一生懸命聴いてくれ、拍手までしてくれました。
その姿を見て、幼い彼女は「ああ、よかった」と喜んでいたのです。
疲れた二人の元気そうな笑顔を取り戻す方法が、歌だったのです。

なかなか言葉では伝えきることの出来ない想いを歌に乗せて伝える・・・
後にシンガーソングライターとして成功する大黒摩季のスタート地点は、
そんな家族へのやさしい想いだったのです。

こうして、幼い頃から音楽に触れていた大黒摩季は、物心ついたときには夢が「歌手になること」になっていました。
この夢の背景には、彼女の家族に対する想いがあったのです。

中学2年生になるとバンド活動を開始しました。、
レベッカのコピーなどを歌っていました。
さらに、15歳の頃には音楽大学を目指し始め、本格的にオペラの勉強を始めています。

しかし、この勉強は彼女にとって堅苦し過ぎるものでした。
クラシックに比べてロックは劣っていると言う先生に反発を覚えて
声楽のレッスンの後は、まっしぐらにバンドの練習に駆けつけていました。

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そんな思いの中、彼女は初めてバンドでオーディションに参加しました。
このオーディションの結果は散々なものでした。
お客さんからは全く反応はなく、拍手ひとつ起きませんでした。

聴いてくれているお客さんに全く受け入れられなかった。今まで自分が歌っていたのは、自己満足だけの「自己中の歌」だったのではないか。
そんな現実を目の当たりにして、とても落ち込んだ大黒麻季でした。

そして、どうしたら歌を聴いてもらえるのかという、歌手の出発点ともいえる問題に直面し、大きな決断をしました。



単身、上京することにしたのです。誰一人知り合いのいない所で、一からスタートしようと考えたのでした。

「歌のプロになる為に東京に行く!」高校2年の時、両親にその思いを告げましたが、高校だけは出てほしいという母親の説得を受け、高校卒業後、18歳の1988年6月1日、故郷・札幌から単身上京しました。

その後、スーパーのバイトなどをしながらライブハウスをまわり、オーディションを受けはじめ
わずか1年後には、いくつかのオーディションに合格しました。

ある大手レコード会社からは、「すぐデビューしましょう」と誘われ、大満足しつつ、
自信をつけ、いい気分でした。
しかし、もうひとつ合格していたオーディション後の面接で、耳を疑うような言葉を聴きました。

それは、大手レコード会社とは比べものにならない、ワンフロアだけの小さな音楽事務所。
小さな古びたソファに座って受けた言葉は、「君に才能なんて全然ないと思うよ」
「よかったら、うちでコーラスでもやりながら勉強したらどう?」

一気に天国から地獄へ堕ちるような容赦ない言葉でした。しばし放心状態に陥る程の衝撃でし
た。
そして、そこで、面接官である社長を、始め事務所スタッフが一緒になって音楽隊の
は、ギターを持ち寄り、彼女の前で弾き始めたのでした。
その姿を見て大黒麻季は、なんと、大手レコード会社を蹴ってこの事務所と契約することを決意しました。
「この人たちは、口は果てしなく悪いけど、絶対純粋だ」厳しい言葉に逆に闘志を燃やし、小さな事務所から、プロへの第一歩をスタートさせました。

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こうして、上京して1年で、オーディションに合格し、所属事務所が決定した大黒摩季でしたが、実際のデビューまでには長い年月でした。

彼女に用意されたのはコーラスの仕事のみで、自分の歌を歌えず、人の後ろでばかり歌うコーラ
スは、しっくりこないものでした。

自分で作った作品を事務所の社長に持ち込み続けていましたが、返ってくるのは冷たい否定の言
葉ばかりで、この状態が4年続きました。

そして、どうとう我慢が限界に達し「私はコーラスをやりにきたんじゃない」
と、啖呵を切ってアメリカに旅立ちました。

知り合いのミュージシャンなどを訪ねながらライブハウスを巡って、改めて自分と音楽を見つめ直す旅でした。ところが、2ヶ月がすぎた頃に連絡先を教えていないはずの事務所から、突然、「デビューの用意があるから帰ってこい」とうれしい知らせが入ってきたのでした。

出国前に知り合いのディレクターに預けていた曲が評判を呼び、デビューが決定したのでした。

狐につままれたように、半信半疑で帰国し、レコーディング。
デビュー曲は、「STOP MOTION」でした。


しかし、このデビューシングルはわずか1万枚のプレスでした。
このとき、デビューすれば売れると思っていた彼女は再度打ちのめされました。

ところが、また、チャンスはやってきました。
急遽頼まれたCM用に作った曲をリリースした所、CMと共に人気を集め、気づけばなんとミリオンセラー。
なんと110万枚という大ヒットでした。
セカンドシングル「DA・KA・RA」で
幼い頃からの夢を十分すぎる形で叶えた瞬間だったと思います

その後、ら、ら、ら 熱くなれなど数々の曲を出しましたが、子宮の病気で活動を休止しています。

LA.LA.LA



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