スターの人生 スターの半生
有名人の人生・半生をピックアップ。その人生はどんなものだったのかをご紹介します。
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ビートたけし 北野武
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北野武は、1947年東京都足立区で4人兄弟の末っ子として生まれます。
実家はペンキ屋を営んでいて、
よく父に連れられてペンキ塗りの手伝いをしていました。

小学生の時には、作業着を着て


父親と一緒に仕事場へ向かう姿を友達にからかわれ、
恥ずかしい思いをしたことが何度もあったといいます。

暮らしは決して裕福ではありませんでしたが、
教育熱心な母親は、彼も含めて兄弟全員に参考書を買い与えて、
勉強をサポートします。

その母親の熱心さは、並大抵のものではありませんでした。
あるとき、一番末っ子だった彼も、
兄たちと同じように参考書を買い与えられます。
初めは、ピカピカの本が目新しく、
楽しんで勉強をしていましたが、
3日も経たないうちに、勉強に飽きてしまいます。

それを見た母親は、大激怒。
パンチの雨が降るほどの大目玉を食らったこともあったのです。

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そんな教育熱心な母親のおかげで、
彼の学校での成績は決して悪くなく、
母親の勧めで、明治大学工学部を受験します。
そして、みごと現役で大学合格を果たしたのです。

教育熱心な母親のおかげで、
明治大学工学部に現役で合格した、北野武。
しかし、彼はほどなくして大学を中退してしまいます。
それからというもの、彼は『風月堂』という喫茶店に一日中入りびたり、
合間に『ビレッジゲート』という新宿のジャズ喫茶のボーイとして働き始めます。

このころの彼は、夢も目標もなく、
「一生このままで終わるのか」という自問自答を繰り返す日々。
「一生をかけてやってみるような仕事をしたい」。
そう思っていた彼は、ある日突然、大きな目標を打ち立てます。

それは、「浅草へ行って芸人になる」こと。
特にきっかけもなく、思いつきで目標を定めてしまった彼は、
すぐ浅草へと向います。
芸人になりたい一心で、浅草フランス座へ飛び込み。
運よくそこで働かせてもらえることにはなりましたが、
彼に任された仕事はステージにでることではなく、エレベーターボーイ。
夢には、あまりにも遠いスタートでした。

しかし、エレベーターボーイを続けているうちに、ひとつのチャンスを掴みます。
エレベーターに乗ってきた座長の深見千三郎(ふかみ・せんざぶろう)に
いきなり弟子入り志願をしたのです。

最初は、まったく相手にされませんでしたが、
次第に気に入られ、あるとき無断で休んだ芸人の代役として
舞台に立つことを許されたのです。

その後、舞台の進行役に抜擢され、芸の厳しさを座長から教わりながら、
いつしか、彼の仕事場は、エレベーターの中から、
華やかなステージへの上へと変わっていったのです                               

浅草フランス座で、コメディアンとしての道を歩み始めた、北野武。
一人前の芸人になるために地道な下積み時代をすごしていた彼に、
ひとつのターニングポイントが訪れます。
それは、後に彼とお笑いコンビ「ツービート」として共に活動する、
ビートきよし、こと兼子二郎(かねこ・にろう)との出会い。

お互いにコンビの相方を探していた二人は、
すぐにコンビを結成します。
当初は、二郎(にろう)がネタを作ってボケを担当、
一方タケシが突っ込みを担当するというスタイルで活動しますが、
まったく売れません。

その頃、彼は名古屋の演芸場で「B&B」の漫才に衝撃を受けます。
島田洋七(ようしち)の言葉の連射攻撃を目の当たりにし
「普通のことをやっていては駄目だ!」と感じたのです。

そこで、これまで二郎(にろう)に任せていたネタ作りを自分で担当し、
コンビ名をツービートに改名します。
彼は、下ネタや放送禁止用語など、
それまでの漫才では不可能だったものをあえて取り入れます。

これが一躍注目されるきっかけとなり、
ついにツービートは、テレビデビューを飾ります。
時代は空前の漫才ブーム。
毒舌漫才を売り物に、「オレたちひょうきん族」などの人気番組を通して
一躍お茶の間の知名度を上げていったのです。

漫才コンビ「ツービート」のビートたけしとして、
一躍お茶の間の人気者になっていった、北野武。
数々のバラエティー番組に出演し、
国民的なお笑い芸人として人気を博します。
さらに彼の表現のフィールドは、舞台やテレビだけでなく、
スクリーンにも広がっていきます。

1989年に、映画監督デビュー作品『その男、凶暴につき』が公開。
一部の批評家からは、批判されることも多かったこの作品ですが、
その独特の世界観は、より多くの人々の心を捉え、批判する人たちを黙らせます。
こうして、彼の監督作品の評判は年々高まり、
1993年に公開した4作目の『ソナチネ』は初めて国際的に高い評価を受け、
一躍「世界のキタノ」としてその名が世界中に広まっていったのです。

しかし、その翌年のことでした。
彼は、大きなバイク事故を起こしてしまいます。
運よく、真っ暗な一本道の明かりの下に倒れていたため
車にひかれずに済み九死に一生を得ますが、
しばらくのあいだ、生死をさまよいます。
どうにか意識を取り戻した彼でしたが、顔面の一部が麻痺する大けがを負ってしまい、
長い間、リハビリに苦しむことになったのです。

その後、無事に復帰を果たした後も、彼は精力的に監督業に取り組みます。
1998年公開の映画『HANA-BI』で、ベネチア国際映画祭の金獅子賞を獲得するなど、
数々の国際的な賞を受賞。

こうして、ついに彼は、フランスの芸術文化勲章の最高章である
コマンドール章を授与されたのです。

自分の感性に忠実に生きることで、世界に認められていった北野武。
これからも、その独創性で数々の作品を生み出していってくれることでしょうね

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