スターの人生 スターの半生
有名人の人生・半生をピックアップ。その人生はどんなものだったのかをご紹介します。
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澤穂希
健康維持を美肌維持に、やずやの養生青汁

ほまれ


澤穂希は、1978年に東京都の府中市で生まれます。
5歳から7歳の間は、父親の仕事の関係で、大阪の高槻市に住んでいました。
そのころ、1つ上の兄がクラブチームでサッカーを始めたため、
彼女も母に連れられて一緒に練習会場に行き、いつも見学をしていました。

そこでいつも、兄が楽しそうにボールを追う姿を見るうちに、
「自分も一緒に楽しくボールを蹴ってみたい!」と思うようになります。
すると、ある日のことでした。そのクラブチームの指導者が「一緒にボールを蹴ってみないか?」と彼女に声をかけてきたのです。

そして、生まれて初めて蹴ったボールは、コロコロと転がり見事ゴールが決まったのです。
そのシュートには、その場にいた誰もが驚き、同時に、この一球がサッカーを始めるきっかけになったのです。

それから、兄と一緒に週に1、2度練習に参加していましたが、格的にサッカーを始めたのは、
再び父の仕事の関係で東京に戻ってきた、小学2年の時でした。

府中市にある名門クラブに入団を試みますが、なかなか正式に入団できません。
当時は、女の子、しかもまだ小学2年の子が入団するのは異例中の異例だったのです。
しかし、諦めませんでした。
そして、そんな彼女の思いは、いつしか周囲の人の心を動かし、家族や多くの関係者の理解があり、やっと入団を許されたのです。

それからというもの、サッカー漬けの毎日が始まりました。
練習は週に5日。週末には試合があり、遠征にも出かけました。
学校の友達と遊べないことが寂しいこともありましたが、毎日サッカーができることが楽しくて仕方なかったのです。

しかし、地元のサッカーチームに、女の子はたったひとり。
男子にまざって、日々サッカーの練習に明け暮れていました。

小学校6年生になって間もなくのことでした。
チームの中心としてプレーしていた彼女にとって、思いもしない壁が立ちはだかります。
憧れていた「全日本少年サッカー大会」に、女子は出場できないというのです。
チームのスタッフや母親が力を尽くして、どうにか彼女が全国大会に出場できるように掛け合いますが、結局、そのルールは変わらず、泣く泣く出場を断念することになったのです。

「どうして、女に生まれたんだろう。男だったらよかったのに」。
やり場のない思いを抱えて、落ち込む日々が続きます。
そんな時、東京都内にある女子サッカーチームから、
大会で助っ人に入ってほしいとの依頼が舞い込みます。

最初はあまり乗り気ではなかったものの、母親の勧めもあり、それまでため込んでいた悔しさをサッカーボールに託し、見事優勝を果たします。



やっぱり、サッカーってたのしい!そう思えたこの出来事が、これから先もサッカーを続ける決め手になったのです。

中学に入学すると、日本一の女子サッカー強豪クラブ「ベレーザ」の一員としてプレーするために、その下の組織の門を叩きます。
ところが、そのずば抜けた実力を買われ、
いきなり中学1年で「ベレーザ」に入部することを許され、
さらには、15歳で日本代表デビューを飾り、
17歳の時にはアトランタオリンピックに出場を果たしたのです。

女子サッカー界では、異例の速さの15歳で日本代表デビューを果たし、
世界の舞台に立った、澤穂希ですが、女子サッカー選手のプレーできる環境は、決して恵まれたものではありませんでした。

日本の女子サッカーのトップリーグであるLリーグは、Jリーグとはちがい、実業団という色合いが濃く、選手の多くは企業で仕事をしながらプレーしていました。
また不況のあおりも受け、次々とクラブが廃部に追い込まれていきます。
そして、彼女が所属していた「ベレーザ」もその例外ではありませんでした。
彼女自身は、プロ契約を交わしていましたが、
経営状況の悪化から、シーズンの途中で契約打ち切りを伝えられたのです。

先の見えない不安に襲われ、途方に暮れていたところ、彼女のもとに願ってもない話が舞い込みます。
以前「ベレーザ」でプレーしていたアメリカ人選手から、アメリカでプレーしないかと誘われたのです。

悩んだ末、アメリカ行きを決意します。
最初は、言葉の壁や慣れない土地でのプレーでホームシックになることもありましたが、
それらの苦難を乗り越え、2000年に開幕したアメリカのプロリーグの舞台に立ったのです。

こうして、アメリカでの女子サッカー人気も後押しして、順調な滑り出しを見せたかに見えました。
ところが、その3年後、2003年のことでした。
突然、活動休止が発表されたのです。
こちらも、日本と同様に不況のあおりを受けて運営が立ち行かなくなったのが理由です。

ようやくアメリカでの生活にも慣れていた矢先の出来事でした。
チームの経営不振が原因でプロ契約を打ち切られ、アメリカのプロリーグでプレーしていた、澤穂希ですが、今度はリーグの活動休止が発表され、再び行き場を失ってしまいます。

翌年にはアテネオリンピックのアジア予選が控えているにもかかわらず、
所属チームがない状態では予選に出場すらできません。
最終的には、アメリカのリーグが復活するのを待とうと考えていたところでした。
すると、以前日本で所属していた「ベレーザ」からオファーがあり、
なんとか無事に移籍先が決定したのです。

これまで、どんな時も「日本代表に選ばれること」、
「海外のリーグで活躍すること」と、常に掲げた夢に挑んできました。
そんな彼女が、最後に掲げた夢がありました。
それは、「世界NO1の座」。

しかし、2008年までに3度のワールドカップと2度のオリンピックに出場し、
世界の舞台に立つたびに、世界の壁の高さを痛感します。
そこで彼女は「まず、アジアを制することが重要だ」と強く考えたのです。

こうして挑んだ、2008年の東アジア選手権。
彼女は、代表として念願の初タイトルを獲得したのです。
その結果、FIFAランキングでは過去最高の4位に浮上。
ワールドカップでの優勝も、夢ではなくなったのです。

凛と咲く なでしこジャパン30年目の歓喜と挑戦



そして、挑んだ今年7月に開催されたワールドカップドイツ大会。
次々と勝ち進み、最終戦。
決勝の対戦相手はかつて、自分がプレーした国、アメリカでした。
結果は、PK戦の末に勝利。日本サッカー史上初となるワールドカップ制覇を成し遂げました。

日本代表に選ばれ18年、常に夢に挑み続け、ついに世界NO1の座を勝ち取った、澤穂希。
逆境にも負けず、常に夢を持ち続けることの大切さを感じます。
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