スターの人生 スターの半生
有名人の人生・半生をピックアップ。その人生はどんなものだったのかをご紹介します。
08 | 2017/09 | 10
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松本人志
松本人志は、1963年兵庫県尼崎市で生まれます。
幼い頃は、決して目立つような子供ではなく、小学校では登校拒否を繰り返していました。

ところが、小学校3年生のとき、そんな彼の性格を一変させる出来事があります。
それは、お笑いとの出会いでした。父親に連れられて、大阪にある劇場「なんば花月(かげつ)」に
生まれて初めて足を運んだときのことでした。
何百人という客がワーッと笑う状況に、彼は衝撃を受けます。
そして、その瞬間「絶対こんな仕事がしたい!」と強く思ったのです。

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登校拒否賞でしたが、松本は、「早く大人になって、こんな世界におれたら、毎日楽しいやろうなぁ」。
そう思い始めるようになってから、登校拒否もなくなり、小学校高学年になるころには、友達と漫才をしてふざけあうほどになっていました。

そして、中学校に進学したとき、これからの運命をともにする一人の人物と出会います。
それが、のちに相方となる浜田雅功(はまだ・まさとし)です。
二人の息はぴったりと合い、遊び半分で漫才をしては、クラスメイトの笑いを誘っていたのです。

ところが、中学を卒業すると、二人は別々の高校に進学することにまりました。
しかも、浜田は三重県にある全寮制の厳しい学校でした。
会えるのは、夏休みに浜田が帰ってきたときくらいでした。
こうして、3年間はあっという間に過ぎ、いつの間にか、二人でお笑い芸人になるという夢も消えかけていたときでした。

卒業を間近に控えたある日、浜田が持ってきた1枚のチラシで、二人の運命は大きく動きます。
それは、吉本がお笑い芸人養成所の1期生を募集するという内容のチラシでした。
卒業後、就職先も決まっていた松本でしたが、
浜田の熱意と運命的なものを感じた彼は、お笑い芸人になることを決意します。
こうして、松本と浜田の二人は、お笑いの道を志すことになったのです。

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相方の浜田と中学校で出会い、高校卒業後、本格的に二人でお笑い芸人への道を歩み始めた、松本人志でした
二人が門を叩いたのは、吉本が運営するお笑い芸人養成所でした。
記念すべき第一期生として入学した二人は、いきなり他の生徒より一歩リードします。
それは、コンビとして入ってきたのは、浜田と松本の二人だけで、ほかの生徒は、養成所で相方を決めていたからです。

コンビ名をダウンタウンに決めた二人の息はぴったりで、生徒を前にネタを披露する初舞台では、大成功。
さらに、入学してからわずか4ヶ月で出場した漫才コンクールでほかのプロをさしおいて、優勝してしまいました

「やっぱり、俺らは天才やな!」そう確信した二人は、自信満々で、憧れの「なんば花月」で初舞台をふみます。
ところが、これが大失敗。
お客さんに全くうけなかったどころか、大きな舞台に立つのが初めてで、全く声もでていなかったのです。

ここからが、二人の長い長いトンネル時代の始まりでした。
いくらステージに立っても、全く受けない日々が3年も続きます。
その間、同期の芸人たちは、どんどんチャンスを物にしていきます。
「このまま、ずっと売れないかもしれない」。
そんな思いが脳裏をかすめます。
しかし、彼にはどんなときも揺らがない一つの信念がありました。
それは、「自分が一番面白い!」ということ。

こうして自分の信念を貫き通していた彼らは、
ようやく、一つのチャンスを掴みます。
それは、大阪のラジオ番組のレギュラー。
さらに、テレビでは深夜番組「今夜はねむれナイト」にも出演し、大阪の若者の間で、徐々に人気が高まっていったのです。
どんなときも「自分が一番おもしろい!」という信念を貫き、大阪の若者のあいだで徐々に人気を獲得していった、ダウンタウンの松本人志。

ここから、浜田と松本の快進撃が始まりました
初めて担当したラジオのレギュラー番組では、フリートークの技術を磨き、テレビの深夜番組「ねむれナイト」では、毎週コントを披露し、
今の芸風の基礎を築いていきます。
そして、その一つひとつが成功するのに比例して、ダウンタウンの人気も、うなぎのぼりに上昇していったのです。

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そんなとき、彼らにさらなる追い風が吹きます。
それは、若いお笑いファン向けの劇場「心斎橋筋二丁目劇場」のオープン。
二丁目劇場の周りには、ダウンタウンのファンがドッと押し寄せパニックになるほどの人気になっていました。
さらに、それと時を同じくしてダウンタウンがメインを務める初めての帯番組「4時ですよ~だ」がスタート。
またまたこの番組が大ヒットし、若者だけでなく幅広い世代から支持を得て、大阪のお茶の間にも浸透していったのです。

こうして、文字通り大阪で天下をとったダウンタウンは、いよいよ万を辞して東京進出をはかります。

ところが、意気揚々と東京に挑んだ浜田とは対照的に、それまで大阪でナンバーワン芸人の名をほしいままにしていた彼にとって、
東京で一からスタートすることには大きな不安を感じていました。

しかし、すでに東京で人気を博していたウッチャンナンチャンとの共演も手伝って、ダウンタウンも徐々に東京で受け入れられていったのです。
そして、あっという間に看板番組「ガキの使いやあらへんで!!」がスタート。
さらには「ごっつええ感じ」など、数々の人気番組では出演はもちろん、企画・構成なども担当し、
ダウンタウンは、唯一無二のスタイルを確立していったのです。

お笑い芸人として、全国的にお茶の間の人気者になった、
ダウンタウンの松本人志でしたがテレビやラジオでのフリートークを通して、自分の考えや思いを発信していた彼に、新たなチャンスがやってきます。

それは、週刊誌の連載。
そのころ彼の中には、実は、笑いをなしにして伝えたいことが山ほどありました。
しかし、芸人としてしゃべる以上、笑いが生まれないといけません。
そんなもどかしい思いを文字にして紙面で伝えることは、
彼にとっては新たな挑戦でもあったのです。

こうして、このコラムは2年にわたって連載され、1冊の本としてまとめられます。
タイトルを「遺書」と名づけられたこの本は、瞬く間にヒットし、気がつくと200万部を超えるベストセラーになっていたのです。
これをきっかけに、数々の著書をリリースし、そのたびに大きな反響を呼ぶことになったのです。
このほかにも、テレビやラジオで芸人として活躍する一方で、新たなコントを収録したビデオを発表したり、舞台を企画したりと、
常に革命をもたらしてきました。

そして、2007年、松本はさらに新たな世界に足を踏み入れます。
それは、映画の世界。
今までにない、オリジナリティあふれるエンターテインメントを作りたいという思いから、監督としてメガホンを取り、映画「大日本人」を完成させます。この作品は、今年、ハリウッドでリメイクされることが決定し、再び大きな話題になりました。


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ビートたけし 北野武
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北野武は、1947年東京都足立区で4人兄弟の末っ子として生まれます。
実家はペンキ屋を営んでいて、
よく父に連れられてペンキ塗りの手伝いをしていました。

小学生の時には、作業着を着て


父親と一緒に仕事場へ向かう姿を友達にからかわれ、
恥ずかしい思いをしたことが何度もあったといいます。

暮らしは決して裕福ではありませんでしたが、
教育熱心な母親は、彼も含めて兄弟全員に参考書を買い与えて、
勉強をサポートします。

その母親の熱心さは、並大抵のものではありませんでした。
あるとき、一番末っ子だった彼も、
兄たちと同じように参考書を買い与えられます。
初めは、ピカピカの本が目新しく、
楽しんで勉強をしていましたが、
3日も経たないうちに、勉強に飽きてしまいます。

それを見た母親は、大激怒。
パンチの雨が降るほどの大目玉を食らったこともあったのです。

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そんな教育熱心な母親のおかげで、
彼の学校での成績は決して悪くなく、
母親の勧めで、明治大学工学部を受験します。
そして、みごと現役で大学合格を果たしたのです。

教育熱心な母親のおかげで、
明治大学工学部に現役で合格した、北野武。
しかし、彼はほどなくして大学を中退してしまいます。
それからというもの、彼は『風月堂』という喫茶店に一日中入りびたり、
合間に『ビレッジゲート』という新宿のジャズ喫茶のボーイとして働き始めます。

このころの彼は、夢も目標もなく、
「一生このままで終わるのか」という自問自答を繰り返す日々。
「一生をかけてやってみるような仕事をしたい」。
そう思っていた彼は、ある日突然、大きな目標を打ち立てます。

それは、「浅草へ行って芸人になる」こと。
特にきっかけもなく、思いつきで目標を定めてしまった彼は、
すぐ浅草へと向います。
芸人になりたい一心で、浅草フランス座へ飛び込み。
運よくそこで働かせてもらえることにはなりましたが、
彼に任された仕事はステージにでることではなく、エレベーターボーイ。
夢には、あまりにも遠いスタートでした。

しかし、エレベーターボーイを続けているうちに、ひとつのチャンスを掴みます。
エレベーターに乗ってきた座長の深見千三郎(ふかみ・せんざぶろう)に
いきなり弟子入り志願をしたのです。

最初は、まったく相手にされませんでしたが、
次第に気に入られ、あるとき無断で休んだ芸人の代役として
舞台に立つことを許されたのです。

その後、舞台の進行役に抜擢され、芸の厳しさを座長から教わりながら、
いつしか、彼の仕事場は、エレベーターの中から、
華やかなステージへの上へと変わっていったのです                               

浅草フランス座で、コメディアンとしての道を歩み始めた、北野武。
一人前の芸人になるために地道な下積み時代をすごしていた彼に、
ひとつのターニングポイントが訪れます。
それは、後に彼とお笑いコンビ「ツービート」として共に活動する、
ビートきよし、こと兼子二郎(かねこ・にろう)との出会い。

お互いにコンビの相方を探していた二人は、
すぐにコンビを結成します。
当初は、二郎(にろう)がネタを作ってボケを担当、
一方タケシが突っ込みを担当するというスタイルで活動しますが、
まったく売れません。

その頃、彼は名古屋の演芸場で「B&B」の漫才に衝撃を受けます。
島田洋七(ようしち)の言葉の連射攻撃を目の当たりにし
「普通のことをやっていては駄目だ!」と感じたのです。

そこで、これまで二郎(にろう)に任せていたネタ作りを自分で担当し、
コンビ名をツービートに改名します。
彼は、下ネタや放送禁止用語など、
それまでの漫才では不可能だったものをあえて取り入れます。

これが一躍注目されるきっかけとなり、
ついにツービートは、テレビデビューを飾ります。
時代は空前の漫才ブーム。
毒舌漫才を売り物に、「オレたちひょうきん族」などの人気番組を通して
一躍お茶の間の知名度を上げていったのです。

漫才コンビ「ツービート」のビートたけしとして、
一躍お茶の間の人気者になっていった、北野武。
数々のバラエティー番組に出演し、
国民的なお笑い芸人として人気を博します。
さらに彼の表現のフィールドは、舞台やテレビだけでなく、
スクリーンにも広がっていきます。

1989年に、映画監督デビュー作品『その男、凶暴につき』が公開。
一部の批評家からは、批判されることも多かったこの作品ですが、
その独特の世界観は、より多くの人々の心を捉え、批判する人たちを黙らせます。
こうして、彼の監督作品の評判は年々高まり、
1993年に公開した4作目の『ソナチネ』は初めて国際的に高い評価を受け、
一躍「世界のキタノ」としてその名が世界中に広まっていったのです。

しかし、その翌年のことでした。
彼は、大きなバイク事故を起こしてしまいます。
運よく、真っ暗な一本道の明かりの下に倒れていたため
車にひかれずに済み九死に一生を得ますが、
しばらくのあいだ、生死をさまよいます。
どうにか意識を取り戻した彼でしたが、顔面の一部が麻痺する大けがを負ってしまい、
長い間、リハビリに苦しむことになったのです。

その後、無事に復帰を果たした後も、彼は精力的に監督業に取り組みます。
1998年公開の映画『HANA-BI』で、ベネチア国際映画祭の金獅子賞を獲得するなど、
数々の国際的な賞を受賞。

こうして、ついに彼は、フランスの芸術文化勲章の最高章である
コマンドール章を授与されたのです。

自分の感性に忠実に生きることで、世界に認められていった北野武。
これからも、その独創性で数々の作品を生み出していってくれることでしょうね


有吉弘行(猿岩石)

オレは絶対性格悪くない!



1974年、有吉弘行(ひろいき)は、広島県の熊野町で生まれます。
幼いころの彼は、毒舌キャラの今からは想像できないほど、
おとなしくて、素直な少年でした。
小柄で、クラスでも目立たなかった彼が、お笑い芸人への道を意識し始めたのは、
小学校4年生のときのことで、当時大人気だった、「ドリフ」や「ひょうきん族」
といったお笑い番組を、熱心に見始めたのがきっかけでした。

中学に入学すると、お笑い好きの熱はどんどん加熱していき、コント番組だけでなく、漫才にも興味を持ち始めます。
ビデオに録画したあらゆる番組を繰り返し見て、「オール阪神・巨人」や「ダウンタウン」の漫才を暗記して、クラスで披露するほどにまでなっていたのです。

そんなお笑い好きだった彼が高校3年生のとき、願ってもないチャンスが訪れます。
テレビ番組で、オール巨人師匠が弟子を募集していることを知ったのです。
有吉は、迷うことなく、誰にも内緒で応募します。すると、トントン拍子で話は進み、見事合格。

オール巨人の弟子として、高校卒業と同時に、
大阪へと向かった有吉弘行(ひろいき)は、憧れの人の下で芸人の道を歩み始め、希望でいっぱいでした。しかし、その夢はあっさりと絶たれてしまうことになります。

弟子入りしてからまもなく、同期の芸人とトラブルを起こしてしまい、
師匠にこっぴどく叱られた有吉。
次第に「また怒られるんじゃないか…」という恐怖感から萎縮してしまい、
なにをやってもうまくいきません。
ついには、弟子入りしてからわずか半年後、
「お前は、弟子には向いていない」と、破門されてしまったのです。

この出来事に落ち込み、広島の実家へ帰ることを余儀なくされた有吉でしたが、
そう簡単にお笑いへの夢をあきらめることはありませんでした。
地元のコンビニでアルバイト生活を始めながら、
彼は、小学生のころからの友人だった森脇和成(かずなり)に声をかけ、
地元の公民館を借りてお笑いライブを決行したのです。
しかし、結果は散々で、会場に集まったのは、30人ほどの友人達だったにも関わらず
笑い一つとることもできなかったのです。

ところがこの大失敗でへこたれるかに見えた彼でしたが、ますますお笑いに対する執念の火が燃え上がり、今度は大阪ではなく、東京へ行くことを決意。
森脇にコンビを組もうと持ちかけ、二つ返事でOKをもらい、『猿岩石』が結成されたのです

相方の森脇和成(かずなり)とともに、
成功を夢見て、広島から東京へ向かった有吉弘行(ひろいき)。
なんとか東京に着いたものの、仕事も、寝る場所すらも決まっていなかった彼らは、
東京ドーム周辺で野宿をしながら、東京生活をスタートさせます。
そして、この野宿生活が、後の彼らの運命を大きく動かすことになります。

住む場所を見つけ、お笑いライブや少しずつテレビに出演しながら、
修業を積んでいたある日のこと、番組の主旨をほとんど知らされないまま、撮影で香港へ行くことが決まります。
初の海外ロケに浮かれていた彼らでしたが、現地に到着してから企画の内容を聞いて一転、
暗黒の谷へと突き落とされます。

猿岩石日記〈Part1〉極限のアジア編―ユーラシア大陸横断ヒッチハイク (角川文庫)



それは、「進め!電波少年」という番組のなかで、香港からロンドンまで、ヒッチハイクでユーラシア大陸を横断するという企画だったのです。
彼らが選ばれた理由は、東京ドーム周辺で野宿をしていたから。
野宿の経験がたまたま番組プロデューサーの耳に入り、白羽の矢がたったのです。

突然の発表に戸惑う暇もなく、番組から手渡されたわずかなお金を握り締め、
有吉と森脇は、果てしなく危険旅へと出発しました。そして、旅の様子が、全国のお茶の間へと届けられたのです。

電波少年の企画で、ユーラシア大陸をヒッチハイクで横断する猿岩石の有吉弘行(ひろいき)と森脇和成(かずなり)は二人が命がけで野宿をするなど、リアルさと予想のつかない展開が受けて、番組は爆発的な大ヒットします。
猿岩石の人気は、彼らの苦難とは裏腹に、うなぎ登りに上昇します。

そして出発から半年後、2人はついに、ユーラシア大陸を横断。
念願の帰国を果たした彼らを迎えたのは、多くのファンとマスコミたちでした。
彼らは、あまりの熱狂振りに最初は戸惑いを隠せませんでしたが、人気の波にのって、本の出版や、CDをリリースし、誰もが知る、人気お笑い芸人に上り詰めたのです。

ゴールデン☆ベスト ~白い雲のように~



しかし、彼らの人気は、長くは続きませんでした。
テレビ番組のおかげで人気者になりましたが、本当のお笑い芸人としては、まだまだ未熟だったのです。ついには、相方森脇との方向性のちがいによって、コンビを解散。
有吉は、ピン芸人として、人気を極めた頃には考えられないほど、
寂しい日々を過ごしていたのです。

ところが、有吉は、再び脚光を浴びることになります。
たまたま、テレビで共演した芸人に辛口のあだ名をつけたことが受け、
毒舌キャラとして、お茶の間に広く知られるようになります。

人気が低迷してもなお、あきらめることなく、お笑い芸人として生き続けた彼は、
一時の流行ではなく、本物の芸人へと成長を遂げたのかもしれません
芸能界を知り尽くした彼は、「嫌われない毒舌のすすめ」を出版しました。



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