スターの人生 スターの半生
有名人の人生・半生をピックアップ。その人生はどんなものだったのかをご紹介します。
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マリリンモンロー

MARILYN`S MAN -マリリンズ・マン- ~マリリン・モンローの真実~ 通常版 [DVD]





1926年6月1日生まれのマリリン・モンロー。本名はノーマ・ジーン・モーテンセン。
母親の名はグラディス・モンロー・ベイカー、結婚と離婚をくりかえす女性でした。
現在も、モンローの父親ははっきりとは分かっていません。

モンローの少女時代はまったく恵まれた物ではありませんでした。
3歳のときには、アメリカは大恐慌となり、モンローは、生活が苦しいため、幼い頃は母親が働きに出る為に他人の家に預けられ、9歳になると孤児院にいれられました。
その後も里親の元を転々とする生活を送りました。

こうした貧しく寂しい生活の中、モンローの楽しみは映画でした。
映画会社でフィルムの編集係として働いていた母親の影響もあって
華やかで楽しいそうに見える世界に、モンローは次第に心をひかれ、憧れるようになります。

しかし、両親に恵まれず、寂しい生活を送っていたモンローは、わずか16歳で最初の結婚をしています。
相手は、高校時代からのボーイフレンドで5歳年上のジェイムズ・ドアティ。
彼女にとって、それは憧れの愛し愛される生活の第一歩でした。

ところが、結婚後間もなく、世界は第二次世界大戦へと突入し、
夫のドアティは、海軍の輸送船に乗り込む事となります。
結婚から2年で、モンローは、一人ロサンゼルスに残され手しまいました。

その後、航空機の部品工場で働き始めましたが、彼女に大きな転機が訪れました。

この工場を取材していた軍隊雑誌「ヤンク」のカメラマンの目に留まり、写真のモデルを経験することになったのです。
その写真が評判となり、やがてピンナップガールとして働き始めました。
彼女の写真は、徐々に評判を呼び、数々の雑誌を飾る事となります。
そんな生活の中で彼女は、女優になりたいという夢を徐々に固めていったのでした。

その夢が現実となったのは、彼女が20歳になって間もなくのこと、
20世紀フォックスとの契約をすることができたのでした。。
この時につけられた芸名が、マリリン・モンローという名前でした。

マリリン・モンロー コレクション1 [DVD]





かつての女優、マリリン・ミラーの名前に、母方の家族の姓・モンローを合わせた芸名でした。
これを機会に、離れて暮らしていた夫とも離婚し、本格的な女優としてのスタートを切りました。

しかし、数年間たっても仕事の役はなかなか与えられることはありませんでした。

しかも全く評価されなかったのです。
そこには映画会社の思い込みがありました。
実は、モンローの顔は、「映画スター向きではない」と判断されていたのです。

そんなマリリンモンローが大ブレイクするきっかけは、
皮肉にもその厳しい時代に、生活の為に受けた仕事でした。

モンローが徐々に女優として認められ始めていた矢先、
モンローのヌードカレンダーが発見されたのです。
売り出し中の女優の大スキャンダルでした。

当時はまだハリウッドが道徳的に厳しい姿勢を見せていた時代、映画会社が否定することに必死
になろうとした中、モンローはそのヌードモデルが自分である事を認めました。
そんして、その理由をきかれ「飢えていたからです」と、公然と答えたのです。

こうした素直な姿勢は、大衆の大きな共感を呼びました。
この事件をきっかけに、モンローはファンの心を広くつかみました。
映画会社からまったく売り出してもらっていないにもかかわらず、一気に人気スターダムへとの
し上がっていきましたそれは、大衆が作り上げたスターの姿でした。

ファンからの人気を背景に、映画「ノックは無用」で準主役の配役をもらい、
1953年、「ナイアガラ」で悪役ながらついに主役の座を獲得しました。

いわゆる「モンローウォーク」は、この映画の中でモンローが腰を振って歩く姿で初登場。モンローが演じるモンローにアメリカは熱狂したのでした。

こうして「モンロー映画」は、ハリウッドのドル箱映画となったのです。

夢がかない、ファンに愛されて大スターになったマリリン・モンローでしたが、
幼い頃から望んでいた愛のある家族を築くと言う夢はかなうことができませんでした。

27歳の時に大リーグのスーパースター、ジョー・ディマジオと結婚しました。
「ミスター・アンド・ミセス・アメリカ」の誕生に世界中が祝福を送ります。
しかし、日本にも2人で来日し話題となりましたが、この結婚はわずか9ヶ月で離婚します。

30歳で作家のアーサー・ミラーと結婚し、モンローにとって一番幸福で穏やかな時期でした。
しかし、2回の流産で、精神的にまいってしまい、自殺を図るほど、不安定になってしいました。

アルコールやドラッグに溺れ、撮影にも遅刻するようになり、これが原因でミラーとの結婚は4年で終わりました。

ジョン・F・ケネディ大統領との関係がささやかれるなど、世間を賑わせ続けたマリリンモンローでした。

そんな中、衝撃が走りました。1962年8月5日、自宅のベッドで受話器を握りしめたまま、全裸でうつぶせになって亡くなっている姿が発見されたのです。

検死の結果は「睡眠薬の過剰摂取による自殺の可能性あり」というものでしたが、
36歳という若さでの突然の死は、CIA暗殺説など、今もなお様々な憶測がささやかれています。

マリリンモンローの葬儀は、離婚後も親友として付き合いのあった元夫・元野球選手のジョー・ディマジオによって執り行われ、その墓前には、ディマジオの計らいで、定期的にアメリカン・ビューティーという真っ赤なバラが添えられることとなりました。

映画の作品は今でもマリリンモンローの美しい姿を残しています。
多くの人に愛されたマリリン・モンローの名は全世界で、いつまでも語り継がれるでしょう。

マリリン・モンロー・ダイヤモンド・アルバム [DVD]



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