スターの人生 スターの半生
有名人の人生・半生をピックアップ。その人生はどんなものだったのかをご紹介します。
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児玉清

俳優、児玉清の人生。
アタックチャンスの司会者として有名でした。

児玉清は、学習院大学文学部ドイツ文学科に在籍し、卒業後、大学院への進学を決めていました。
しかし、大学の卒業式に列席していた時の事、式の途中で、母親の危篤を知らされました。

突然訪れた母親の死でした。高齢だった父親は仕事を引退しており、家族の財政は一気に危機状態になりました。
児玉はやむなく大学院への進学をあきらめ、就職する事となったのです。

http://www.apri-tia.com

大学卒業直後の4月に職を探そうとしても、そう簡単には見つかりません。
途方に暮れている所に1通のはがきが舞い込んできました。
それが、応募もしていない東宝映画、新人俳優募集の書類審査合格の知らせ。
実は、大学時代に演劇をしていた彼の事を
俳優志望だと勘違いしていた知人が勝手に応募していたのです。

突然の通知の理由は分かったものの、俳優になる気などなかった彼は、この試験を受ける気は全くありませんでした。
しかし、面接当日、奇妙なことが起こります。
明け方「試験に行きなさい」という母親の声が聞こえて、ハッと目が覚めたのです。

その声に導かれるように、とりあえず面接会場に向かいましたが、
指定時間を30分以上も過ぎていた上、水着審査用の水着も持っていませんでした。
仕方なく、パンツ姿で面接に挑んだ所、
元から受かる気のなかったリラックス状態が良かったのか、面接に合格。
結局、東映のニューフェイスとして俳優への道を歩み始めたのでした。

東宝映画のニューフェイスとして入社した児玉清。
3ヶ月間の研修を経て、いよいよ俳優の道を歩み始めます。
とはいえ、最初に巡ってくる仕事と言えばエキストラ役ばかりでした。

最初は、腰掛けのつもりだった事もあって、ほとんど仕事のない状態を楽しんでいましたが、
そんな彼にある転機となる出来事が訪れます。

それは、「鉄腕(てつわん)投手・稲生(いなお)物語」という映画のロケで、福岡の博多へ出張となり、若手のスター俳優と一緒に博多の街を出歩く事となった時の事。
2人が喫茶店に入り、コーヒーを飲み終わった時に、お店のウエイトレスが、スター俳優にサインを求めてきたのです。
スター俳優がスラスラとサインをした色紙を受け取ったウエイトレスは、「そちらの方も」と言って、児玉にもサインを求めてきました。
予期せぬ出来事に「エッ僕に?」と驚いた児玉清。
そのときスター俳優が発した言葉にさらにドキッとすることになりました。
「この人は雑魚だからサイン貰っても仕方がないよ」

確かに駆け出しでロクに役のなかった彼ですが、この言葉に猛烈に腹が立ってきます。
ポケットからコーヒー代をテーブルにドンと置いて、
「コーヒーは僕のおごりだ」というスター俳優に「コーヒー代くらい雑魚でも払えます」と彼の前から去ったのでした。

この時、彼の頭にあったのは、「もしこのまま俳優を辞めてしまったら、いつまでたっても、雑魚で終わってしまう、
こうなったら意地でも俳優に踏みとどまってぎゃふんと言わせてやる!」という思い。
腰掛けのつもりの俳優業に真剣に向き合う事を決心したのでした。

スター俳優から受けた侮辱をきっかけに、俳優の道を歩く事を決心した児玉清。
しかし、俳優として芽が出る事は決して簡単な事ではありませんでした。

無名の役をする事3年、松本清張原作の映画「黒い画集 ある遭難」などで、ようやく主要な役を当てられるようになった時、彼に大きな災厄が訪れます。
会社の重役とコネのある新人女優との交際を断った事で恨みを買い、「児玉清は結婚詐欺師だ」とあらぬ噂を立てられて、会社から一切売り出されなくなってしまったのです。会社の中で孤立無援になること、実に6年以上。

しかしそんな彼に、時代がチャンスを与えます。
それは、テレビドラマへの出演でした。
当時、テレビドラマはまだ生放送からビデオ録画に移り変わろうとしていた時期。
しかも、そのビデオもテープが編集できない状態で、最初から最後まで一度に撮影しないといけないというものでした。
1カットずつ撮影していく映画とは違い、一度のミスも許されないテレビドラマの現場。
しかしその事が、学生時代に演劇をしていた彼にとって大きくプラスに働いたのです。

もともと、カメラに向かって愛をささやくなどといった演技が苦手だった彼にとって、一連の流れで演じることができるテレビドラマは正に救いの神でした。
こうして、テレビの世界に活路を見出していった児玉清。
自分を売り出してくれる事もなく、
テレビに消極的な姿勢を見せていた映画会社を辞め、フリーの俳優として歩み始めたのでした。

映画からテレビの世界へ活動の場を移した事で、
次第に人気を得る事に成功した俳優、児玉清。

しかし、現在彼のイメージとして最も強いのは、
「パネルクイズ アタック25」の司会でしょう。
1975年にスタートしたこのクイズ番組で、彼は36年もの間、司会を続けました。
その活躍は次第に司会業が中心となり、90年代半ばからは俳優業からは遠ざかる日々が続いていました。

そんな彼が俳優として復活したのは、2001年に放送されたドラマ「HERO」での事。
「今さら脇役なんて」と、一度は断りますが、
当時マネジャーを務めていた長女から「絶対出演してほしい」と説得され、出演する事になったようです。
これ以降は、「美女か野獣」や「トップキャスター」などのドラマに出演し、
その存在感を発揮する事となったのです。

しかし、2002年、俳優としての復活のきっかけとなった長女が
胃がんのためにわずか36歳の若さで他界。
娘としてはもちろん、約20年もの間、
マネージャーとして自分を支えて来てくれた存在を失った事は、彼の心に消える事のない傷跡を残しました。

その後も大河ドラマ「龍馬伝」で、坂本龍馬の父親役を果たすなど、精力的に仕事を重ねていましたが、
2011年2月下旬、突然の体調不良を訴えました。
病院で検査したところ、長女と同じ胃がんが発覚。
入院生活を送る事となりますが、5月16日、77歳で、帰らぬ人となりました。

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