スターの人生 スターの半生
有名人の人生・半生をピックアップ。その人生はどんなものだったのかをご紹介します。
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たかの友梨
たかの友梨は、現在、120以上もの店舗数を誇るエステティック、たかの友梨ビューティクリニックの代表です。
美容ビジネス界のスターといえるでしょう。
本名 髙野 友梨、1948年1月22日生まれ

バッシング中の沢尻えりかをCMに起用するなど、大胆な方針背景には、
大きな成功を収めた彼女の恵まれない生い立ちにあるのかもしれません。

運が悪くってよかった!―たかの友梨自伝




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たかの友梨は、新潟県で医師の父と看護士の母の元に2歳上の姉と共に生まれましたが、二人は不倫の恋の結果生まれた子供でした。
父親には、すでに本妻との間に5人もの子供がいたため、親戚中の大問題となり、両親は別れ、その後、母親は別の男性と結婚する事となります。

一時は父親に引き取られ、暮らしていた、たかの友梨姉妹でしたが、
ママハハとの折り合いは悪く、たかの友梨姉妹は別々に養子に出されてしまいます。

ひどいことに、養子先はお金目当てに彼女を引き取ったようで、ろくに子供の面倒を見る事無く、酒浸りの日々で、たかの友梨は、おしめも替えてもらえず、悲しく泣いてばかりいたそうです。


そんな状況を不憫に思い、ひきとることにしたのが、子供がいなかった、後に育ての親となる夫婦でした。
「かわいそうな子がいる」と聞いて、たかの友梨を引き取りました。

3歳となってようやく訪れた平和な日々に思えましたが、育ての父親に、他にも子供がいることが発覚し、2度目の引き取り先の両親が離婚してしまいます。
この平和と思える生活も2年で終わりを迎えてしまいました

そして、この母親の実家のある群馬県に移り住む事となったのです
幼い日の彼女は、大人の都合に翻弄され続けていたのでした。

たかの友梨は、幼い頃に両親から離れ、育ての母の元、親戚の家を転々としながら、
小学校を6回も転校するような少女時代を過ごしました。
たかの友梨は、養子に出されたのがまだ幼く、記憶もなかったため、中学生になるまで本当の両親だと思って育ちました



大成功できる人の小さな心づかい


そんな たかの友梨に真実が伝わったのは、クラスメイトが先生から言われた無神経な一言でした。
「高野さんは、もらいっ子なのにあんなに明るく頑張っているじゃないか、
ちょっとは高野を見習えよ」というものからでした。

この言葉を友人から聞いた彼女が、すぐに戸籍謄本を取り寄せてみると、
そこにははっきりと「養子」の文字がありました。
なんと無神経で、デリカシーのない教師でしょう。

頭を殴られたようなショックが彼女を襲い、今まで頼りにしていた母親が、血のつながらない他人だったことに、思春期の心は傷つきました。


しかも、今まで親戚だと信じ込んでいた人が実の母親だった事も知り、
大人への不信感が募りました。
何もかもが信じられなくなり、自分の居場所を見失った結果、自殺を考えるまで思い詰めてしまいました。

実際に、遺書を書き、近くの川に足を踏み入れました。
しかし、たかの友梨は、秋の終わりの水の冷たさに、次第に冷静さを取り戻します。
「このままでは何の為に生まれて来たのか分からない」
考え直し、思い返すと、いままで他人の子供を一生懸命育ててくれた育ての母親への感謝がわき上がってきました。
そして、これからは自分の力で生きなければ、と言う思いが生まれました。


考えた結果、選択したのは手に職のある理容師という仕事でした。

理容師となった、たかの友梨は、4年目、理容コンクールに出場するようになり、群馬県では常に入賞するほどの腕前となりました。

自信をつけ、さらに磨きをかけたいと思った彼女は東京へ行く事を決意し、衣装ケース2つと退職金2万円を持って上京しました。


東京で、給料の安い理容師の仕事だけでなく、飲食店で皿洗いのバイトなどこなし、
がむしゃらに働き始め、美容師の資格をとったのです。

そんな無理な生活はに彼女の体に影響を与えていました。
ある日電車の窓に映る自分を見た彼女は愕然とします。
そこにある顔は、目の下に真っ黒なクマができ、肌はニキビだらけで、
まるでお化けのようだったのです。

そして考え、向かったのは、当時登場し始めていた外資系の化粧品店。
なんと、化粧品を買うのではなく、美容の知識を身につける為に、ビューティーアドバイザーとして働こうと考えたのです。
まだ22歳だった彼女にとって特にこのニキビは大きな悩みだったのです。

ほんとうにタイミング良く募集があり、化粧品メーカーで働き始めたら、
悩みのニキビも治りました。
そんな変化で次第に、女性がきれいに変わること、きれいである事に興味と意味を感じ始めました。
「女性はきれいになると世界が変わるんだ」
たかの友梨は、お化粧を始めて、大きく自分がかわり、体験して感じた実感でした。

そんな中、目に付いた、「エステティックサロン」を紹介する新聞記事。
当時パリで流行し始めていたエステに「これだ!」と直感した彼女は、それまでの貯金を全額おろし、単身パリに渡りました。

当時、あまりなかった女性が単身での渡航。
パリに渡り、老舗のエステティックサロンに飛び込んだ たかの友梨は、当時最新のエステに触れ、充実の8ヶ月を過ごしました。

その後帰国して、まず始めたのは、美顔器の販売でした。
修行に行っていたフランスのサロンで使っていた美顔器で悩みだったニキビが治り、そのよさを実感した たかの友梨は、この機械を持ち帰って、家庭用に改良して、販売することにしたのです。

手作りで組み立てたこの美顔器は、あっという間に大成功をおさめます。
さらに、自然化粧品の販売も開始して、なんと26歳の若さで世間も注目する経営者となったのです。

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この成功で得た資金を元に1978年、エステティックサロンを立ち上げ、それが「たかの友梨ビューティークリニック」です。

日本にエステなどほとんど無かった時代ですから、厳しいものもありました。
しかし、女性の贅沢の極地であるエステは、「絶対に流行る」という自信がありました。

たかの友梨が悩んだニキビが治ったことを実感した体験から、
「ニキビの方、集まれ!ダタで治して差しあげます」というキャンペーンを張りました。

1ヶ月に何度エステを受けても3万円という「エステ定期券」をスタートし、
とりあえず、エステを体験してもらう事から始めた所、これが大当たりし、一気に顧客の獲得に成功しました。

その後は、世界各地のエステを取り入れながら拡大を続けて来た、たかの友梨ビューティークリニックは、現在その数が120店舗以上を誇るまでに成長したのです。

自伝には「運が悪くって良かった!」という題したほど、幼いころ、厳しく、そして悲しく、つらい青春時代を送った、たかの友梨。
この成功は、幼い頃がつらく同じような境遇であった人たちや、多くの人を勇気づけたに違いないでしょう。


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