スターの人生 スターの半生
有名人の人生・半生をピックアップ。その人生はどんなものだったのかをご紹介します。
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絢香(あやか)

ayaka's History 2006-2009 -Photo Book付-




絢香は、1987年12月18日、大阪府うまれ 本名・飯田絢香

絢香は、周りから、うるさいと言われてしまうくらい、幼いころから絢香は、歌うことがとにかく大好きな子供でした
絢香が、音楽に目覚めたのは、小学校4年生のときで、洋楽に触れたことでした。
母親の影響でしたが、ビートルズなど年代、ジャンルを問わず洋楽を聞きました。

中学2年生のとき、文化祭の出し物で、歌を歌った時、初めて、人前で歌う喜び、聴いてもらう喜びを知り、、高校生になると、バンドを結成しました。
カバーしたのはMR.BIGヒット「トゥ・ビー・ウィズ・ユー」など、広いジャンルををカバーして定期的にライブを開催してました。
カバーバンドとして活動していた絢香でしたが、

カバー曲のみでバンド活動をしていた、絢香でしたが、音楽の時間、自分の曲を作るというテーマがあり、それがきっかけで作詞・作曲をしてみようという気持ちになります。
そして、本格的に音楽を学ぶためにはどうすればよいかと、考えては見るものの、どうしてよいかわからず、何気なくすごしていた絢香でしたが、ある日、知り合いの紹介で、当時YUIのプロデューサー西尾芳彦(にしお・よしひこ)氏と知り合うことになります。
西岡は、福岡にある名門音楽塾 「ヴォイス」の塾長でした。

First Message



その時、西尾は、絢香に、歌ってみるようにといい、絢香は「1分だけ時間をください」と言うと、
部屋を真っ暗にし、精神統一を始めたそうです。

16歳の少女だった絢香の歌声を聴いた西岡は、堂々とした歌声にびっくりし、将来を感じました。
絢香は、絶対にプロで行けると確信したそうです。
このきっかけで、絢香は西尾に音楽を学ぶことを決めました。

しかし、絢香は大阪、西尾の塾は福岡と、とても距離があり、レッスンを続けるのは大変でした。
往復の新幹線代もバカにならず、大丈夫かな?と不安に思うことも多かったといいます。

そして、高校3年生の夏、ついにメジャーデビューの時が来ました。
準備のため上京した絢香でしたが、2月のデビューに向けて、たった一人音楽に専念する傍ら、友達もおらず、誰しもそうですが、とても寂しかったといいます。

実力は、やはりもともとあったのでしょう。
関係者へのお披露目として開かれたパーティーで、絢香の歌が評価され、デビュー前に雑誌や音楽番組で特集を組まれました。

2006年2月、シングル「I believe」でいよいよデビューし、曲は、いきなりチャートで初登場3位にランクインしました。
女性シンガー・ソングライターのデビュー曲としては初めてチャートのトップ3入りでした。
着うたダウンロード件数が100万件を突破、いきなり、トップアーティストの仲間入りを果たしました。
デビュー曲の「I believe」は、福岡まで通ったデビュー前の不安な気持ち、そんな不安を歌にしたものでした。
デビュー後、高校を卒業し、本格的に歌手活動をスタートしました。

「三日月」は、音楽専門チャンネルMTVアジアのスペシャル・ローテーションに決定、韓国の女優チェ・ジウ出演のドラマ『輪舞曲-ロンド-』の主題歌に起用されるなど、海外からも評価を受けました。
オルゴール「三日月」

しかし、絢香は、以前からバセドー病という甲状腺の病気を抱えていました。
その絢香を支えていたのは、当時、交際していた、現夫の俳優・水島ヒロでした。

そして、2009年4月、約3年、人気を維持した絢香は、決断を下します。
2009年2月に水嶋ヒロと入籍していたことを発表し、病気の治療に専念するため、活動休止することを明らかにしたのです。
いろんな思いの中決めた活動休止でした。
入籍後は、マスコミから、水嶋ヒロもかなり攻撃にあいました

絢香は2009年のNHK紅白歌合戦の出演を最後のステージとしました。歌った曲は、ラストシングルの「みんな空の下」まだ22歳での活動休止でした。

Sing to the Sky -CDのみ-





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中山美穗

中山美穂 パーフェクト・ベスト



現在、元バンド・エコーズのボーカルで、作家の辻仁成(じんせい・本名ひとなり)と息子と共にパリで暮らしています。

中山美穂が3歳のときに両親が離婚し、本人には「父親は亡くなった」と教えられていました。
のちにデビューする生まれたばかりの妹、忍と3人、転々と住まいをかえ、生活を支える為に働く母親は、娘2人をいろんな人に預けました。

預けられた家での、不自由な生活の中、学校からの帰宅途中に、「母親の知り合いから、
迎えを頼まれた」と声をかけられ、車で東京から3時間も離れた所に連れて行かれるという事件に巻き込まれました。
この誘拐事件で、危害を加えられる事はなかったものの、心に傷を負うことにあります。
当然、母親も責任を感じて、東京で美穂の帰りを涙ながらに待ちました。

しかし、恵まれた環境でないにもかかわらず、幼い彼女はひょうきんで、とてもおしゃべりな子供でした。とくに大好きだったのは、おじさんの家で過ごす事でした。
姉妹を自分の子供のように接し、普通の家庭と同じように家族団らん、季節の行事を行って過ごしました。

中山美穂が大好きだったのは、70年代のちょっと大人びた歌謡曲を歌う事で、縄跳びの取っ手をマイクがわりにして、みかん箱にたち歌い、「歌手になる」と周りに宣言していました



そんな中、中学1年生の時、原宿でモデルクラブにスカウトされ、これをきっかけに芸能界へ足を踏み入れることとなります。

COLLECTION I




最初はCMや雑誌を中心に活躍していましたが、1985年、テレビドラマ『毎度おさわがせします』へ出演がきまり、転機となります。

思春期の性への目覚めをテーマに、銭湯での女風呂入浴シーンがあり、ちょっとエッチなドラマでした。これが「明るい性教育ドラマ」として大ヒットしました。
中山美穗の役は、ツッパっ「のどか」という少女でした。

当時、一家団欒のお茶の間にヌードシーンが出るなど、賛否両論、大きな話題を呼んだこの作品は、最終回には26.2%という高視聴率を記録し、彼女の人気にも一気に上昇しました。

このきっかけで、1985年6月 シングル「C」で歌手としてデビューし、この年に「生意気」と「BE-BOP HIGHSCHOOL」 3枚のシングルをリリースしました。

そしてその年の日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞し、アイドルとしても地位を確立したのでした。

1987年には、ブロマイド売上枚数が女性部門でトップを記録し、工藤静香・南野陽子・浅香唯と共に女性アイドル四天王と呼ばれ、
「ミポリン」の愛称で数々のドラマ、CMに出演が決まりました。
その後、WANDSとのコラボ、「誰かが彼女を愛してる」の主題歌、「世界中の誰よりきっと」は、
180万枚を売り上げる大ヒットを記録し最高の時期を迎えました。

しかし、2002年に出演したドラマ、『ホーム&アウェイ』を最後に、しばらく芸能活動をお休みします。理由は、ミュージシャンで小説家の辻仁成(ひとなり)との結婚でした。

運命的な出会いと、言われるように、目と目が合った瞬間、
「初めて会ったのに深く知っているような気がして」
「寒くもないのに、心が震えて、落ち着きのない状態に」なってしまい、
ほんの数時間一緒に過ごした後、とっさに彼の手を握ってしまったというのです。

その後、辻は南果穂と離婚、中山美穂は、彼と結婚し、フランスへの移住しました。
そして、2004年に長男を出産しましたが、移住に関しては、「地に足をつけてしっかり子育てをしたい」という強い思いがあったからだったようです。

マスコミの目に追われ、周りを気にして生活するという日本を捨て、子供と共にのびのびと生活
できる環境を求めた結果でした。
これは、自分の幼少時代、半生を振り返り、決めたことなのかもしれません。

幸せな子育てを送りながら、2010年、1997年の「東京日和(びより)」以来、12年ぶりとなる
映画主演でスクリーン復帰しました。
映画は、夫、辻仁成(ひとなり)の恋愛小説、「サヨナライツカ」でした。

サヨナライツカ [DVD]



2010年1月「アエラ」に中山美穂に関する記事が載っていました。
「サヨナライツカ」という映画のPRを兼ねて、彼女の生い立ちから現在に至るまでが、紹介されていました。

「サヨナライツカ」は、主役候補には、当時31歳の中山美穗が選ばれていたにもかかわらず、8年前に制作中止になった経緯があります。
それには、彼女の結婚が大きく関係していると言われています
駆け落ち同然の結婚で、イメージの問題もあったでしょう。
辻人仁も、ヒット続きて、調子に乗っていたといわれれいます。

「冷静と情熱のあいだ」がヒットした当時からは比べものにならない程、質素な生活。
そんな生活を続ける中で、辻仁成さんはこのようなコメントをしていました。
「一番になったり何か賞をとることが幸せではなく、仲間や家族と夢を共有しながら日々を生きていくことが幸せだと思えるようになった。」

長い年月をかけて再度映画化されることになった「サヨナライツカ」、中山美穂は、「この役は誰にも渡したくないと初めて思った役です。こんな強い女性をずっと演じたかった。自分がやりたいものがやれて、本当に幸せな気分です」と語っています。








キャンディーズ

GOLDEN☆BEST/キャンディーズ




1973年(昭和48年)デビュー

ランこと伊藤蘭、スーこと田中好子、ミキこと藤村美樹、
3人で結成されたキャンディーズ

伊藤蘭 ラン 東京武蔵野市出身、
祖父が蘭の花が好きで良く蘭の花の絵を描いていたことから、蘭と名付けられました。
中学生の頃から女優になりたいと思い始め、演劇部に所属。
中学1年から部長を務め、演劇コンクールで2位に輝くなど、
熱心に打ち込んでいました。

藤村美樹 ミキー 東京世田谷出身。
父親が芸術短大の音楽科の教授、母がピアノの先生という音楽一家で育ちました。
幼い頃から音楽に囲まれて育った為か、小学3年生の時にはコーラス部に所属、
中学からは創作ダンス部に入り、
全国コンクールで2位に入るという実績を残しています。

田中好子 スー  東京都足立区出身。
小さな頃からおてんばだった彼女は、一時バレリーナに憧れていましたが、
女の子があんなに足を上げるもんじゃない、と祖母にいわれ歌手を目指します、
また、小学校4年の時から町の民謡研究会に入り、
お年寄りたちに混じってソーラン節などを歌っていました。
祖母に影響を受けたスーです。




それぞれ違った人生を送っていた3人が出会ったのは、芸能事務所、渡辺プロダクションが設立した東京音楽学院でした。
のちにスクールメイツとなるアイドル養成学校に入学したことから交流は始まりました。

マルベル堂90周年記念企画 完全保存版 キャンディーズ プロマイドから微笑がえし 464カットすべて掲載



3人はそこで頭角を現し、スクールメイツのメンバーとして
レッスンだけでなく、テレビやステージに出演するようになったのでした

スターの後ろでで踊っていた彼女たちが3人組として活動するようになったのは、
NHKの歌番組「歌謡グランドショーのオーディションでした

「フレッシュな女の子」がコンセプトで、このオーディションで選ばれたのが、ラン、スー、ミキでした

こうして3人で活動することになりましたが、グループ名はなく、
番組ディレクターが急遽考えた名前が「キャンディーズ
グループ名が決まったのは番組放送の前日だったそうです。

3人はアシスタントとして、リハーサルでの代役や、雑用がおおく、番組に出る機会はほんの少しでした。

そんなとき、当時の超人気番組ドリフターズの「8時だョ!全員集合」にアシスタントとして出演することが決まり、これがきっかけで世に知られるようになりました。


そして、1年半後、ついにデビューが決まり、「あなたに夢中」で、デビューしました。

しかし、このデビューシングルはあまり売れず、翌年リリースした「そよ風のくちづけ」「危い土曜日」「なみだの季節」 3枚のシングルも売れませんでした。
大阪で行われた初めてのリサイタルでは、当初2回公演が、入りが悪いため、1回となりました。

そこで、それまで向かって左からミキ、スー、ランだった並びを、ミキ、ラン、スーに入れ替え、ランが初めてソロパートを受け持ち、イメージを変え、「年下の男の子」を発売。
初めてヒットチャート、ベスト10入りを果たした大ヒットとなりました。
その振り付けがあらゆる所で真似され、当時の流行語となるほどの人気でした

「年下の男の子」の大ヒットをきっかけに、
大人気アイドルの道を歩み始めたキャンディーズでしたが、
超多忙な生活が待っていました。

寝るまもなく、テレビ出演を終えた後にレコーディングを行うなど、
毎日の睡眠時間は4時間足らずでした。

そんな忙しさが続いた2年後の、デビュー3年目の夏に、
日比谷野外音楽堂で行われたコンサートのエンディングで、
何の前触れもなく突然解散を宣言したのです
ランが泣きながら発した「普通の女の子に戻りたい!」という言葉は、
当時の流行語となりました。


GOLDEN☆BEST キャンディーズ コンプリート・シングルコレクション




本人たちがが、勝手に宣言した「解散」でした。
周りのスタッフも聞かされておらず、芸能ニュースなどで大きくたたかれました

しかし、なんと解散宣言からキャンディーズの人気はさらに沸騰し、
解散コンサートでは、後楽園球場に5万5千人もの観客を集めました。

3人の最後の言葉、「本当に、私たちはしあわせでした」
解散宣言後も支えてくれたファンたちへの思いが詰まったものだったに違いありません。

解散を最高の形で迎え、それ以降、再結成を一度もしていません
その行動が、今なお伝説のように語り継がれてる理由でもあります。

レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]




その後は、ランは水谷豊と結婚し女優業で活躍、ミキは期間限定でソロとして復帰後芸能活動はしていません。
スーは、女優として映画、ドラマに活躍していましたがガンとの19年もの闘病生活の末亡くなりました。







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